先物取引解析法

先限

テレビや新聞のニュースで触れられない情報の存在も常に念頭においておく必要がある。特に、広告主(スポンサー)から広告収入を得ているマスメディアでは、自身の広告主を批判することは、極めて難しい。これは、仮に広告主に対して批判的な報道を行えば、その広告主が降板してしまい広告収入が減ってしまう、あるいは広告主から何かしらの圧力を受けるといった事態を招く事は必至だからであり、基本的に営利追求を目的とするマスメディア企業としては、そのような事態を招きたくない為である。その為、自身の広告主への批判を自主規制してしまう事が多い。 米国でも意図的に政権批判を避けることがある。大富豪婦人の謎の死と戦争を比べ、報道の加熱は社会への影響を考えるとどちらがより重大であろうか?[1] また、2006年4月29日にホワイトハウス記者クラブにてブッシュ大統領をねぎらう晩餐会(これを行ったと言う事実は日本で報道されている)において、スティーブン・コルベアというコメディアンがブッシュ大統領の目前で徹底的にほめ殺し、正面切って政策、そして当時政府の広報機関と化していた各マスメディアの批判をした事はほとんどのメディアが報じなかった。報じたのはCNN(一部のみ)とC-SPANだけである。その後事実隠蔽に対してインターネットで騒ぎになり、ワシントンポスト紙が釈明するという事態になった。接するメディアの数によって知る事実が変わってくると言う一つの例である。 また2006年夏にもトヨタ自動車がリコール隠蔽を行い、幹部3人が書類送検されたにもかかわらず、同様な事件であった三菱自動車問題に比べて明らかにマスコミ内での扱いが小さかったという事例もあった。これもトヨタ自動車がマスコミに日本一の巨額な広告費を払っているために、マスコミが報じることを自粛してしまう一例である。その他、マスメディアが自分たちの企業自身の不祥事・問題について報道することはゼロに等しい。逆に、自社のライバルとなる企業の不祥事に対しては鬼の首を取ったような執拗な報道をするメディア企業もある。 このあたりの背景は、マスメディアが報道自体を控えてしまう為、そのマスメディアしか利用していない為替 の場合、気付く事が難しいという面がある。しかし、それでも、複数のメディアを利用する(例えば一局だけでなく他の局のテレビ・ニュースも見る、他の新聞社の新聞も読む、書籍やインターネット上の情報も参照する、等)事によりある程度理解する事は可能であるが、その捏造や意図的な隠蔽などを指摘する他メディアを無条件で信用してしまうこともまた、大規模なマスメディアを疑わないのと同程度に危険であることを意識しておく必要がある。また逆に言えば、マスメディアの情報を全て疑ってかかり、嘘であると信じ込むのも、同じく危険と言える。起こった事実は一つしかないし変化のさせようがないが、どういう形でどのくらい伝えるか、誰が知り、誰が伝え、誰に伝わるかによって、知る事実の全体や真実は変わってくる、という事である。 肝要なのはある事象についてなるべく多くのメディアから情報を入手し、マスメディアも営利を目的とする企業であり(これは公共メディアも大きな変化はなく、団体が解散すれば失業者が出る)、利害が存在する事を前提にし、自分自身で時に自己批判をし、時に受諾しながら考えていく事である。ただし、先にも言ったように「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」ということを知っておくべきである。いかに客観的であろうとしても、自分の中で作り上げられた事実のイメージ(または真実と解釈しているもの)はその時点で既に偏っているのである。客観とは「どの程度主観から距離を置けるか」という問題であり、生を全うするために判断行動するという生物の根源的な動きがある限り、本当の意味で客観的な立場をとることは永遠に不可能なのである。 また、広告主を始め、自分が利用しているマスメディアと何かしらの繋がりがある存在(人物、企業、団体、政党、国家等)をあらかじめ知っておく、といった事も役に立つ。 多少特殊な事例として、太平洋戦争中の日本では天気予報が規制された事があった。これはスパイなどに予報を入手され空襲等に利用できる情報として応用されるなどの懸念からである。上記の例に合わせれば、これは日本という国家が当時敵対していたソ連、イギリス、アメリカなどの諜報員を警戒した規制であるといえる。 かつて、江戸時代、 に幕末では情報規制が厳しく、倒幕派や攘夷派の起こした事件は大っぴらに報道(瓦版などで)できなかった。しかし、隠語を巧みに用いてお上にばれないように、瓦版を発行し知識がある者はそれを読み取っていた。 昭和初期の大陸での陸軍の暴走(満州事変など一連の大陸での事件)がメディアによって支持され、世論により政府の不拡大政策は崩れた。さらに、第二次世界大戦勃発後、ドイツの快進撃が報道されるに及び、ドイツとの同盟論が復活(ドイツがソ連と独ソ不可侵条約を結んだことにより、同盟論は沈静化していた)し、その上英米に歩み寄る政府の姿勢をメディアが批判的に報道し、世論は対英米協調に反対を示し、それに乗じた陸軍の工作により、協調路線をとる米内光政内閣は崩壊した。一つの見方では、メディア・リテラシーの欠如が日中戦争の拡大を促し、太平洋戦争を勃発させたとも言える。 太平洋戦争下では露骨な情報操作が行われており、報道や軍事などに詳しいものであれば疑うこともあっただろうが、軍部が権力が握っていたため、疑えば非国民とされ生きていくこともままならなかった。メディア・リテラシー教育が行き届いていたとしても、開戦自体を止められなければ無力であるとも言え、常日頃のメディア・リテラシーが重要であることを示唆している。 戦後では、1957年にテレビというマスコミの悪影響として一億総白痴化などと言われたことがあった。「テレビというメディアは非常に低俗な物であり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう。」といったもので、現代におけるインターネット批判と同様の事が50年も前から起こっていた。しかし、メディア・リテラシー教育は無かったため、そういったメディアを読み、聞き、見ていく訓練は自主的に行わなければならなかった。 しかし、物心ついたころからテレビがどこかにあった世代(団塊の世代後期?)においては、テレビや新聞は絶対であり、テレビや新聞など大手の情報源以外の情報は取るに足らないとする風潮が強く、メディア・リテラシー教育の必要性は子供だけにあるものではない時代と言える。読売新聞(2006年10月20日)によれば、新聞を「大いに信頼できる」「だいたい信頼できる」と答えたのは、50歳代で最も高い92%、最も低い20歳代でさえ83%という結果であり、あらゆる世代でメディア・リテラシー教育の必要性を示唆する結果となった。 近年テレビなどで引き起こされたIPO 問題としては2007年1月に起こった発掘!あるある大事典IIにおける「納豆ダイエット」データ捏造問題などが挙げられる。 また口コミなどを含むメディアの信頼性もマイナスイオン商品(擬似科学も参照のこと)が流行したという事例を考えると疑うべきである。マイナスイオン効果を謳った商品は、実証データの存在が曖昧または殆どないなどある意味非常にレベルが低い(学校の理科の先生など、科学に関する一定レベル以上の教育を受けた人間が知己にいれば懐疑的になり得た程度の)ものであったが、それでも一時期はブームを巻き起こしたという事実は上記の納豆ダイエットよりもある意味深刻な事態だったと考えてもよいかも知れない。 情報教育、 情報リテラシー、および コンピュータ・リテラシーも参照 1980年代後半からは、メディア・リテラシーを学校教育に取り入れることも少しずつ行われるようになってきた。 カナダ・外貨預金 およびオーストラリアでは、カリキュラムに取り入れるよう国の政府が指定している。アメリカ合衆国での扱いは、州によって異なる。アメリカ合衆国以外では、メディア・リテラシーが単に「メディア教育」と呼ばれることも多い。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 日本の教育現場などでは、「情報を処理する能力」や「情報を発信する力」の育成をメディア・リテラシー教育と認識している場合もある。 「総合的な学習の時間」に取り上げる学校もある。 「NIE」による教育での、メディアに対する読解力の向上。 英語の教科書でメディア・リテラシーについての長文を載せているものがある。 東京大学大学院情報学環教育部が、東京大学をはじめとする学部学生や大学院生、社会人を対象にしたメディア・リテラシー専門教育を実施している。